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(黒田修理亮利則の鎧)
<くろだしゅうりのすけとしのり>

















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(井上周防之房の鎧)
<いのうえすおうゆきふさ>

第7回「信長の賭け」を見て。

新しい家臣になった槍の使い手母里太兵衛の『守り袋』騒動より、
 官兵衛が太兵衛に云う
「われら黒田家の宝はなんと心得る?」

太兵衛は、「殿をまもる」という心を強く受継ぐ胸の内を明ける。
官兵衛は、善助と太兵衛に兄弟の契りを結ばさせる。
人と人との繋がりが強い事が黒田家の宝であると。

・浅井長政の裏切り。比叡山延暦寺、
石山本願寺など一向一揆、武田信玄が上洛への動きと。
四面楚歌の信長は、追い込まれながらも、
「真の敵は誰だ? いずれわかる。」と言い切る。

信長の天下取りという戦略に、辛抱して生き残りを掛けた
決意があったからこそ、将軍足利義昭の挙兵 。これを追放し、
200年以上続いた室町幕府の終焉を迎えることになったのだ。

・荒木村重の信長に帰順する初めての謁見での、
信長が、饅頭を刀先に刺しこれを村重に食わせる。
信長の傲慢な気魄と、村重の畏れを知る気骨に、
「戦国武将の魂のやり取りに鳥肌が立つ思いがした。

摂津の国主になった村重の元を訪れ、その妻•だしと会う。
これからの展開がまた面白い。


第6回 「 決断の時 」を見て。

官兵衛が、毛利家の使者•安国寺恵瓊(えけい)と会う。
対峙する両名は、眼力に、顔色に、声の力に、情報分析する。
(現代にも通じる人相術が生かされている)
毛利方か織田方かと、恵瓊が官兵衛に尋ねる


黒田家では、官兵衛は松寿丸(後の長政)の遊んでいるところに、お城から
両親を亡くしお城にいた後藤又兵衛を引き取って会わせる。
この後、光(てる)は、長政と一緒に育てて、又兵衛は長政を支えることになる。


1575年(天生3)6月、小寺政職は小寺家の行く末を決める大評定を招集。
織田につくか、毛利につくか。
御師からの情報等を活かして、官兵衛の軍師としての判断力は凄い。

「 毛利家の当主が若いこと、遺言として領地を守ること、守りの戦いである。」
と分析し、「織田家は、能力の有る者を重用し、天下布武を掲げて王道に、
支配する町は賑わいを(楽市楽座)。」と説明する。
「国をおさむる者は義立てばすなわち王たり」<荀子>
ここなんか官兵衛の勢いを感じるシーンだね。

生き残りをかけた激論のなか、官兵衛は櫛橋左京進ら守旧派を説き伏せて、
小寺家を織田帰順へと導く。

そして、官兵衛は信長に謁見するため、いよいよ信長のいる岐阜城へと。




(次回に繰り延べ分、博多湾からの情報を)


続く