黒田長政が中津から名島城に!
関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康が天下を統一した。
まず、筑前国にいた小早川秀秋を、加増転封し岡山51万石にした。
そして、この筑前国には豊前国中津から、黒田長政を加増転封した。
それが、この名島城であり、
手狭なので、
近隣の福崎に築城をしようと、
ちょっと高い丘に、(遠くを見通せて)
海側の整備、(防衛の堀と城の周りに武家屋敷を)
約7年の歳月を掛けて。
(もしかして、起こるかもしれない戦の準備に)
黒田家は、他所から来ただけに、本格的基盤作りをした。
そう、この地を長政が生まれ育った備前国福岡庄のように
したいと思ったに違いない。
だから、名前を取って「福岡城」と名付けた。
と官兵衛から如水になっていた彼は、
裏で動いたのではなかろうか!
(夏休みが待ち遠しい~)
海が目の前にあるからこそ、海のレジャーが
待っている。
つづく