(毛利但馬友信の鎧)
<もりたじまとものぶ>
(後藤隠岐基次の鎧)
<ごとうおきもとつぐ>
第8回 「秀吉という男」をみて。
小寺家の使者として、岐阜城を訪れ、信長に謁見した官兵衛。
明智光秀ら織田家重臣たちが居並ぶ緊張と
信長の鋭い視線にさらされながら、必死の思いで播磨攻略法を説く。
その中で、織田家臣たちに黒田家の兵の少なさを軽んじられた。
そこで、官兵衛が「戦の勝敗は兵の数ではない」と
反論して言った一節。
『 兵は詭道(きどう)なり』<戦争とはだまし合いである。<孫子より>
黒田家臣の気骨さと繋がりの深さを表している。
緊張の官兵衛は、才知を活かしての播磨攻めの意味を弁舌に、
信長から気に入られて、名刀「圧切」を官兵衛が授かる。
播磨攻めの総大将として紹介された気さくな秀吉は、
官兵衛を自身の居城・長浜城に連れていき、
妻・おねや石田三成ら家臣と引き合わせる。
そして、秀吉は、後藤太兵衛に家来にと言うが。
栗山大膳が黒田家を離れる時は、死ぬ時だけでありますと言う。
本当に、黒田家への忠義を全うしているところが良い。
そのころ播磨の御着城では、織田帰順を決めたはずの政職が、
櫛橋右京進ら守旧派に押され毛利へ寝返ろうとしていた。
そこで職隆は、光やお紺を使い、政職を説得。
小寺家は再び織田につくことを決めるが、
播磨には毛利の調略の手が伸び始めていた。
第9回 「 官兵衛試される 」を見て
秀吉と意気投合した官兵衛は、ついに竹中半兵衛と出会う。
希代の軍師との出会いに心おどらせたのもつかの間、
官兵衛は半兵衛に挑発され、主君•政職の小寺家、
その仇敵である赤松と別所の播磨名門三家を信長に
拝謁させると約束してしまう。
それは、官兵衛の力量を試す半兵衛の試験だった。
早速、三家の説得に乗り出す官兵衛は、
三木城の別所長政への書状に
「 人に国柄(こくへい)を貸すなかれ 」と。
<君主は臣下に統治の力を貸してはならない。>
若い長政を信長に帰順させることができた。
そして、宿敵•赤松も帰順させる力を持つ。
官兵衛が、軍師としての才覚を持っていると感じる。
一方で、主君の政職は、信長への拝謁を嫌がり。
手に負えなくなっている時に、半兵衛の手助けで、
荒木村重が大軍を引き連れて、政職を脅す。
これに、政職はすすんで、拝謁すようになる。
人間の心の脆さを知ることができたと思う。
【博多港の乗降人数は日本一】
博多港の乗降人数は21年連続で日本一となる見通しだ。
2013年の外国航路船舶乗降人数は、約63万3千人と
前年を21万人の大幅な減少になっている。
それは、日中関係の悪化によるものではあるが、
博多港の立地条件が、韓国、中国とアジアに近いことがある。
これに、福岡市の現市長は、平成26年度に博多港の魅力を
向上させるために、整備予算を約9億6300万円をつけた。
旅客ターミナルの建設に、クルーズ船乗客の出入国手続きを円滑化、
展示場の新設や、ホテル・商業施設の集積を進めることになる。
黒田官兵衛も驚くような、博多港の発展が待っている。
外国航路博多港乗降客数 内国航路博多港乗降客数
2008年 845231 1241900
2009年 636269 1111776
2010年 872892 1121248
2011年 664428 1089178
2012年 845580 1116137
続く