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官兵衛の部屋 Vol.7 見晴らしの良い博多タワーから考える。
              (80mの展望台は)


太閤町割は、黒田官兵衛も関わりながら、順調に進む。



秀吉は博多を朝鮮出兵の
軍事的要所としての考えを持っていた。
だからこそ復興には力と金と人材を登用した。
(この話は、次の機会に)



今回は、海から見た博多について



博多港にある博多タワーの展望室は高さ80メートルあり、
そこから、見ると。



遠くに、志賀島と能古島と見え、日本海に面する内海である。
穏やか波は、訪れる客人を、気持ちよくする。



海から見て左手に、筥崎八幡宮がある。
中央に、ベイサイドプレイスの船着場があり、
      天神や博多駅に通じる。
右手は、荒津大橋に西公園、ドームに
      福岡タワーのある百道浜と広がる。





現在の賑わいは、官兵衛にとって目を見張ることだろう。






古地図では、沖ノ浜があって、
洲崎と長浜と砂浜沿いに北警固村と。
冷泉も草香江も海であった。



砂浜が広がっていて、海から、山まで
見通しのよい博多だったに違いない。




それから考えると、
博多は、黒田官兵衛の時から、
埋め立てによって、発展してきたことになる。


官兵衛のオリジナルの見解は、
まだまだ 続く。